子どもは遊びでこころを語る――ユング派遊戯療法のまなざし
目次
1. はじめに――子どもが遊ぶということ
子どもが無心に遊ぶ姿には、見る人の胸を打つ何かがあります。小さなフィギュアを並べたり、砂をすくって山を作ったり、ぬいぐるみを相手に物語を語ったり……。それはまるで、子どもたちの「こころ」が言葉を使わずに語り出しているかのようです。
日々、学校や家庭で「言葉で説明すること」「きちんと話すこと」が求められる中で、多くの子どもたちが言葉にできない思いや、うまく言葉にできない感情を抱えています。大人にとっても自分の内面を語ることは簡単ではありませんが、子どもにとってそれはなおさら困難な作業です。そうしたとき、子どもたちは「遊ぶ」ことで自分の世界を築き、自らの内的なリアリティを表現しようとします。
心理療法の世界では、こうした子どもの「遊び」にこそ深い意味があるとされます。なかでもユング派・分析心理学における遊戯療法では、遊びを単なる行動ではなく、こころの深層に触れる営みとしてとらえます。子どもの内なるイメージ、感情、願い、恐れ……そうしたものが象徴的なかたちで遊びに現れ、セラピストとの関係の中で理解され、変容していくのです。
日本の遊戯療法の第一人者である弘中正美氏は、遊戯療法の本質を以下のように述べています。
「外的現実そのものを扱う代わりに内的現実を扱うこと、言葉ではうまく説明できないようなイメージレベルの体験を深めること、感情や願望、衝動の激しい表出がしっかりと治療の場のなかに収まることの重要性」
(弘中正美『ユング派の子どもの心理療法』)
この言葉は、遊戯療法という営みの根幹を端的に表していると言えるでしょう。私たちが注目するのは、子どもの「問題行動」や「症状」そのものではなく、その背景にある内的世界の叫びなのです。
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本コラムでは、ユング派・分析心理学に基づく遊戯療法の意味と価値を、専門的な知見とともに丁寧にひもといていきます。そして、「つくば心理相談室」では、子どもたちが安心して自分の世界を表現できる空間をどう整えているのか、その実際もご紹介していきます。
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2. 遊戯療法とは何か
遊戯療法(プレイセラピー)は、言葉を媒介とする従来のカウンセリングとは異なり、「遊び」という表現手段を通してこころの内面を扱う心理療法です。特に子どもは、自分の感じていることや考えていることを、言葉よりも行動やイメージで表現する傾向があります。遊戯療法は、その「遊び」を媒介に、子どものこころに寄り添い、理解しようとする試みです。
とりわけユング派の遊戯療法では、子どもの遊びを単なる感情の発散ではなく、象徴的な意味をもつ表現としてとらえます。遊びの中に登場するキャラクター、繰り返される場面、作られるストーリーの中に、子どもが無意識に抱える葛藤や願望、自己成長の可能性が宿っていると考えるのです。
心理学者カール・G・ユング博士は、人間のこころの深層には「個人的無意識」を超えて「集合的無意識」が存在すると説きました。この集合的無意識には、太古の人類から伝わる普遍的なイメージ=元型(archetype)が備わっており、それが夢や空想、創作、そして「遊び」にも現れるとされます。
ユング派の遊戯療法では、子どもがつくり出す遊びの世界を、単なる現実の模倣としてではなく、その子のこころが描き出す象徴的宇宙として尊重します。そこで繰り広げられるドラマは、深層に潜むエネルギーの動きを示し、子ども自身が無意識の力と向き合う場となるのです。
ユング派の遊戯療法は、子どもにとっての「安全な投影の場」であると同時に、こころの自己治癒力を信じて見守る立場でもあります。セラピストは無理に言葉を引き出したり、問題を「解決」しようとはせず、遊びの中で自然に展開していくプロセスそのものを尊重するのです。
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3. ユング派遊戯療法の特徴
ユング派の遊戯療法は、子どもが遊びを通して「こころの深層」に触れていく過程を大切にする療法です。そこでは、子どもの行動や言葉の表層だけではなく、その奥にある象徴的な意味を読み取り、子どもが内的世界との対話を通して自己と出会い、成長していくプロセスを支えます。
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3-1. 遊びにあらわれる象徴と意味
ユング心理学において、象徴はきわめて重要な概念です。子どもの遊びには、しばしば抽象的で不思議なストーリーやキャラクターが登場します。たとえば、巨大な怪獣と小さな子どもが戦ったり、牢屋に閉じ込められた人形が助けられる場面が繰り返されたりといった遊びは、単なるファンタジーではありません。そこには、子どものこころの内面で何かが動いている兆しが映し出されています。
象徴は、意識では捉えきれない感情や体験を「形あるもの」としてあらわす手段です。子どもはその象徴を通して、内的な不安、葛藤、怒り、悲しみ、あるいは希望や癒しの欲求を表現します。遊びは、そうした象徴的表現が自由に生まれる「場」であり、そこでの出来事はセラピストとの関係のなかで受けとめられ、意味をもっていきます。
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3-2. セラピストとの関係性――「見守る」ことのちから
ユング派遊戯療法では、セラピストと子どもの間に築かれる関係性を非常に重視します。ただしそれは、指示を出したり、評価をしたりする「教師のような存在」としての関係ではありません。むしろ、子どものこころの自己治癒的な力を信頼し、「見守り、共にいる存在」として関わります。
心理療法家であり教育者でもあった河合隼雄先生は、子どもと遊ぶことについてこう述べています。
「子どものこころに本当に触れるには、大人の側が自分の内にある子ども性を目覚めさせねばならない。子どもと共に遊びながら、そこに宿る意味を静かに待ち受ける姿勢が求められる」
(河合隼雄『ユング心理学と教育』)
この「待つ姿勢」「共に遊ぶ姿勢」こそが、ユング派の根幹をなしています。子どもが自らのこころの深層と向き合うとき、そこには不安や混乱、怒りなどの激しい感情がともなうこともあります。そのとき、セラピストが慌てず騒がず、子どもの側にいること――それが、子どもにとって何よりの支えとなるのです。
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3-3. 遊びの中で動き出す「自己治癒力」
ユング派の療法では、人間には本来「自分自身を癒そうとする力=自己治癒力(Self-regulation)」が備わっているとされます。子どもの遊びは、その自己治癒力が自然とあらわれる表現の一つです。
たとえば、繰り返される攻撃的な遊びが、ある時から「守る」「助ける」遊びに変化していくことがあります。それは、子どもの内面に何らかの変化が起きたこと、自己の回復プロセスが動き出したことを示唆しています。セラピストはその変化に注意深く耳を傾けながら、子ども自身が自分のペースで変化していけるよう支援します。
弘中正美氏は、こうした遊戯療法の本質を次のように語っています。
「子どもが自由に遊べるようになったとき、内的現実に向き合う準備が整ったということになる。そこから、自発的な癒しのプロセスが動き始める」
(弘中正美『子どもの心の風景を読む』)
ユング派遊戯療法は、表面化した「問題」を直接どうにかしようとするのではなく、子どもが持つ潜在的な治癒力と創造性を信じて関わる療法です。
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4. 遊戯療法にあらわれる子どものこころ(事例)
ここでは、実際のユング派遊戯療法の場面から、子どもたちの内的世界がどのように遊びとして表現され、それがどのように変化していくのかを、いくつかの事例的エピソードを通してご紹介します(プライバシー保護のため、内容は修正・加工されたものです)。
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● 事例1:繰り返される「戦い」の中で
小学3年生の男の子・Aくんは、教室でのトラブルが絶えず、「暴れる」「手が出る」「すぐ怒る」といった行動が目立つとのことで、遊戯療法が開始されました。
初回から彼は、フィギュアを手に取ると、戦いのシーンを繰り返しました。ドラゴンが町を襲い、戦士たちが立ち向かい、倒され、また別のヒーローが出てくる……。その遊びはエスカレートし、セラピールームが「戦場」と化すこともありました。
一見すると暴力的な遊びですが、その繰り返しの中には、Aくんのこころの中で起きている何らかの「葛藤」と「防衛」が投影されていました。彼は、外の世界に対して強くあろうとする自分と、本当は怖くて不安でたまらない自分との間で、戦い続けていたのです。
数ヶ月を経て、彼の遊びに変化が現れました。戦いの中に、「助ける」「守る」というモチーフが加わり始めたのです。ヒーローが倒れた者を手当てしたり、敵だったドラゴンと和解する場面が登場したりしました。
このような変化は、Aくんのこころの中で「癒し」のプロセスが始まったことを示しています。彼は、自分の中にある怒りや恐怖に、象徴的に向き合い、受け入れていく力を育てていたのです。
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● 事例2:沈黙の中の小さな世界
中学1年生の女の子・Bさんは、学校に行くのがつらくなり、家でも口数が少なくなってきたということで相談に来ました。初回、彼女はセラピールームの隅に座り、何も話さず、目を伏せていました。セラピストが「好きなものがあれば、使っていいよ」と声をかけても、彼女は何も手に取りませんでした。
しかし、数回目のセッションで、彼女は小さな白いウサギのフィギュアを手に取り、それを砂場にそっと置きました。次の回には、小さな家や木を加え、やがてそこには「一人で暮らす静かなウサギの家」が完成しました。
Bさんは言葉では多くを語りませんでしたが、遊びの中で、自分の居場所がなかったこと、孤独でいたこと、それでも誰にも壊されない「安全な場所」を求めていたことが伝わってきました。
ある日、ウサギの家にもう1つ別のフィギュアが加わりました。「友だちが来たんだ」と彼女はぽつりとつぶやきました。それはBさんの中にある、他者との関わりへの欲求が、ようやく静かに動き始めた瞬間でした。
このように、遊戯療法の場では、子どもたちのこころの奥底にあるテーマが、象徴的なかたちでゆっくりと、しかし確かにあらわれてきます。セラピストはその象徴を読み解き、意味を尊重し、子どもの「こころの旅」の同行者として寄り添います。
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次章では、遊戯療法が果たす治療的役割と、こころの発達における意義について詳しく考察していきます。
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5. 遊戯療法の治療的意義とこころの発達への影響
ユング派遊戯療法は、「子どもの問題行動をなくす」ことを直接の目的とはしていません。そのかわりに、子どもが内的な体験を象徴的に表現し、そこから新たな意味を見出し、自ら変化していく過程を大切にしています。そこには、深層心理学的な「こころの発達」に対する独自の視点があります。
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5-1. 「こころの場」としての遊戯療法
ユング派のセラピーでは、カウンセリングルームそのものが「こころの場(container)」として機能します。子どもが自由に表現できる空間、安全に自己を表すことが許された場があるからこそ、こころの深い層にあるものが表面化し、癒しのプロセスが始まります。
遊戯療法の中で、子どもは自分でもうまく言葉にできないような体験――怒り、悲しみ、混乱、喪失、希望――を象徴的に表現します。これに対して、セラピストはすぐに解釈を与えることなく、丁寧にその「意味を孕む動き」に寄り添い続けます。
ここで再度弘中正美氏の引用を示します。彼は遊戯療法の核心を以下のように述べています。
「外的現実そのものを扱う代わりに内的現実を扱うこと、言葉ではうまく説明できないようなイメージレベルの体験を深めること、感情や願望、衝動の邀しい表出がしっかりと治療の場のなかに収まることの重要性」
(弘中正美, 2012)
このように、ユング派遊戯療法は、子どもが無意識の領域にある体験を扱えるような「こころの容れ物」となり、その過程を共に生きることで、深層からの変容が生じることを目指します。
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5-2. 象徴化と個性化のプロセス
ユング心理学において、発達とは単に「成長する」「賢くなる」ということではありません。それは「個性化(Individuation)」と呼ばれる、自己としての全体性を育むプロセスです。
子どもが遊びを通じて出会うのは、恐怖や怒りといった感情だけではありません。そこには、未知の自分、まだ見ぬ可能性との出会いもあります。あるいは、傷ついた部分に意味を与え、再び力を取り戻すプロセスでもあります。
象徴は、言葉よりも深く、子ども自身が気づいていない「こころの動き」を伝えてくれます。遊びの中で現れるこれらの象徴的イメージは、子どもが自分自身の内面と関係を結びなおし、新しい意味を見出す助けとなります。
河合隼雄氏は、象徴のもつ癒しのちからについてこう述べています。
「象徴とは、心の深いところからやってくるメッセージである。そのメッセージを受けとめるには、知識よりも感受性が必要である」
(河合隼雄『ユング心理学入門』)
ユング派遊戯療法は、こうした象徴との出会いを通して、子どものこころが統合されていく道を支援します。
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6. つくば心理相談室におけるユング派遊戯療法の実践
つくば心理相談室では、子どもから大人まで、さまざまな方々のこころの問題に向き合っています。その中でも、特に子どもたちに対するユング派の遊戯療法は、当相談室の大切な柱の一つです。
当相談室のセラピストは、総合病院小児科においてプレイセラピーおよび母子面接に携わり、18年にわたる臨床経験を積んできました。医療現場で多様な家族や子ども達と向き合い、遊びという非言語の表現の力を実感してきた経験が、現在の実践の土台となっています。
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6-1. 安全な場と「まなざし」
つくば心理相談室では、「安心して遊べる場」を整えることを大切にしています。とはいえ、それは何でも許される自由な場という意味ではありません。ユング派の遊戯療法における「安全」とは、明確な枠組みの中で、子どもが自分のこころに深く触れていける環境のことを指します。
セッションの時間や空間が守られ、必要なときにはセラピストが毅然とした態度で「枠」を示す――そうした外的な安定があってこそ、子どもは内面の世界に安心して没入することができます。
プレイセラピーとは、「遊び」という枠を通して、子どもが自らのこころに触れ、語り、整理し、癒されていく営みです。子どもが遊びに没入すること――それはすなわち、自分自身との深い出会いの始まりでもあるのです。
ユング派では、セラピストの態度は単なる「観察者」ではなく、深く共鳴しながらも沈黙を含んだ「まなざし」を持つ存在とされます。子どもが創り出す象徴の世界に対して、すぐに言葉や意味を与えるのではなく、そこに宿る「何か」に耳を澄ませる姿勢が求められるのです。
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6-2. 子どもが自ら語るちからを信じて
多くの保護者の方が最初に抱くのは、「この子は話すのが苦手で…」という不安です。しかし、遊びの中で子どもは、時に大人が思いもよらないほど豊かなこころの物語を語ってくれます。たとえば、破壊と再生をくり返すフィギュアの戦い、お人形の「赤ちゃん」が育っていくプロセス、砂に埋められた宝物の発見――そこには、その子の内なるドラマが凝縮されています。
こうした遊びを、セラピストと共にじっくりと味わいながら、子どもは次第に「自分ってこういう存在なのかもしれない」と気づいていきます。それは誰かに教えられることではなく、自分の内側から生まれる理解です。この「自己との出会い」こそが、ユング派遊戯療法の核心にあると言えるでしょう。
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6-3. 家族との連携と支え
つくば心理相談室では、必要に応じて保護者との面接も行い、遊戯療法の過程を丁寧に共有していきます。子どもが安心して表現できるような家庭環境をどう築くか、保護者自身のこころも含めて、共に考えていきます。
ときに、子どもの回復のプロセスが、保護者自身の癒しの道と重なることもあります。家族まるごとのこころに向き合うことは、子どもがより豊かに育つ土壌を耕すことにもつながります。
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次章では、こうしたユング派遊戯療法の視点が、子どもたちにどのような変化や癒しをもたらすのか、その「変容のプロセス」に焦点を当てていきます。
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7. 変容のプロセス――遊びの中で起こること
遊戯療法のなかで子どもが経験していることは、ただの発散や現実逃避ではありません。遊びを通して、子どもは自分の内面に触れ、その中にある未分化な感情や葛藤、恐れ、願いと出会い、それらを整理し、象徴化していくのです。この過程は、大人が言葉を使って「話すこと」と同様に、あるいはそれ以上に、本質的な「語り」となります。
セラピストは、その語りに耳を傾けながら、子どもが体験している象徴世界の中に一緒に立ち会います。そして、遊びの中で繰り返されるテーマや登場人物の変化、物語の展開などを通して、こころの奥にある意味の変容や再構成が徐々に起こっていく様子を見守ります。
たとえば、初期には敵や怪物に怯えるばかりだった子が、やがて自分の力でそれに立ち向かうようになったり、自分自身が怪物そのものになって暴れることで、強い怒りや無力感を象徴的に表現したりすることがあります。そうしたプレイの変化は、内的な自己像の変化や、感情の統合を物語っていることがあります。
このようなプロセスは、まさにプレイセラピーが担う役割を的確に表しています。子どもが象徴世界に没入し、混沌とした感情やイメージを外に出すことが許されるとき、そこには深い癒しの可能性が開かれるのです。
セラピストが焦らず、意味を急がず、その場に共にいること――それが、遊戯療法のなかで起こる変容を支える大切な姿勢と考えます。こころの変容は、決して急いではならないのです。子ども自身が、自分の内なる世界に触れ、それに形を与えることができるようになるまで、静かに待つ。そのためにこそ、遊戯療法という場があるのです。
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8. 大人にとっての遊戯療法――思春期・青年期の支援
「遊び」と聞くと、多くの人が幼い子どもを思い浮かべるかもしれません。しかし、ユング派の視点では、思春期や青年期、さらには大人にとっても「象徴と向き合う場」としての遊戯療法は深い意味を持ちます。
特に思春期は、子どもでも大人でもない曖昧な時期であり、こころの深層では激しい葛藤や再編成が進行しています。自我の確立、親からの心理的自立、性的な自己認識、仲間関係における試行錯誤――それらはすべて、自己という存在を問い直すプロセスです。ユングの言葉を借りれば、これは個性化の道への入り口でもあります。
言葉でうまく表現できない不安やモヤモヤ、怒り、絶望――それらが行動や沈黙、時に身体症状となって現れるこの時期に、「語らずとも語れる場」としてのプレイセラピーが力を発揮することがあります。箱庭療法や描画、フィギュアなどの創作的表現は、「話すこと」に抵抗を感じる若者にとって、自己を語るための安全で自由な手段となるのです。
河合隼雄氏の言葉を引用します。
「思春期の心理療法において大切なのは、何かを教え込もうとすることではなく、本人が『自分自身を発見する』ことを助けることにある」
(河合隼雄, 1993)
この言葉は、ユング派の遊戯療法が持つ根本的な姿勢を表しています。セラピストは導くのではなく、その人の中にある「自分との出会い」をそっと見守る存在なのです。
青年期のクライエント様の中には、「自分なんてわからない」「話す意味がない」と感じている人が少なくありません。けれども、描いた世界や箱庭に表れた象徴達は、その人自身もまだ気づいていない内的現実を雄弁に語ります。そこには「誰にも見せていなかった自分」や「長く押し込めてきた願い」などが、かすかな形を伴って立ち現れてくることがあります。
遊戯療法は、そのような象徴的表現を通して、思春期のこころの揺れと出会い直すことを可能にする営みでもあるのです。自分の中に生まれつつある何かに触れ、それを守り育てる場として――大人にとってのプレイセラピーにも深い意義があるのです。
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9. ユング派遊戯療法が開くもの――こころの語りに寄り添う
ユング派遊戯療法の根底にあるのは、「こころには自らを癒す力がある」という信頼です。子どもも大人も、苦しみや混乱のなかにあっても、その人の深層には秩序を回復しようとする無意識の働き=自己(セルフ)の力が静かに息づいています。
セラピストは、プレイという象徴の場を通して、その声なき声を聴こうと試みます。意味を押しつけたり、急いで分析したりすることはありません。ただ、子どもやクライエント様が自らの遊びや表現を通して、内なるこころの動きに出会っていく過程を信じ、見守り、ともに味わうのです。
遊戯療法とは、単なる「遊び」でも「カウンセリング」でもありません。その間に立つような独自の空間であり、象徴の言語を媒介にして、深層のこころとつながる営みです。ユングが「イメージを信じることが心理療法の出発点である」と述べたように、そこにはイメージの力の奇跡が宿っています。
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◆つくば心理相談室からのご案内
つくば心理相談室では、ユング派・分析心理学にもとづいた遊戯療法・プレイセラピーを提供しています。幼児から学童期、思春期の子どもたちを中心に、必要に応じて保護者の方との面接も行いながら、丁寧な支援をこころがけています。
担当するセラピストは、18年にわたって、総合病院の小児科においてプレイセラピーや母子支援に従事してきた経験を持ちます。医学的な理解をふまえたうえで、「こころの発達」や「親子関係のダイナミズム」への洞察を深めた支援を行っています。
また、「うまく話せない」「言葉では伝えづらい」そんなお子さんや思春期の方でも、自分のペースで「こころを語る」ことができる場を大切にしています。言葉ではない表現、遊びやイメージを通して、自分と出会い直すプロセスをご一緒できたらと思います。
お子さんのことでお困りのことがある方、ご自身のことで安心して語れる場所を探している方――どうぞお気軽にご相談ください。
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◆『子どもは遊びでこころを語る――ユング派遊戯療法のまなざし』を読んでくださったみなさまへ
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
このコラムが、遊戯療法の世界にふれるきっかけとなり、「こころの表現」にそっと寄り添うことの意味について、少しでも感じていただけたなら嬉しく思います。
人が生きていくうえで、誰にも「語れなかったこころ」があるかもしれません。
けれども、それが誰かに見守られながら表現されるとき、癒しと変容の扉がそっと開かれるのです。
どうぞ、つくば心理相談室が、あなたやご家族の「こころの語り」の場となりますように。
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参考文献
- 河合隼雄(1995).ユング心理学と仏教.岩波書店.
- 河合隼雄(2002).こころの処方箋.新潮社.
- 弘中正美(2014).子どもの遊びと心理臨床.創元社.
- 弘中正美(2016).プレイセラピーの発達心理学.誠信書房.
- Jung, C. G.(1964).Man and his symbols(D. Sharp, Ed.).Dell Publishing.
- 藤森旭人(編)(2005).新版 遊戯療法ハンドブック.金子書房.
- 山中康裕(1999).子どもの遊戯療法.岩崎学術出版社.
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